日本統治時代の九份は、請負業者が住む日本風や洋風の豪邸と、作業員が住む黒い油紙でできたバラック小屋が山の斜面にたくさん建っていて、夜になると台北に負けないほど賑やかな歓楽街であったといわれています。
しかし、終戦後、金の採集量が減る一方で、人件費は高くなり、中華民国政府が金の値段を安く抑えていたので採算が合わなくなり、1971年に閉山されました。
そして、九份から人がいなくなり、以前の静けさが戻ってきました。
その後、1987年に戒厳令が解除されて、映画を自由に撮影できるようになると、九份で撮影された映画が増えました。
『非情城市』という侯孝賢監督の映画があります。ベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した台湾の有名な映画です。この映画のほか、『恋恋風塵』という映画も九份を舞台にしたものです。
これらの映画が契機となって、日本統治時代の古い雰囲気が残っているこの町が注目されるようになりました。
そして、90年代のレトロブームが追い風となって、台北からすぐ近くにあるのに山と海の美しい景色が見渡せる場所として評判になり、九份は人気の観光地になりました。
(連載#3に続く)
執筆:徐啓祥(台湾人ガイド)