火. 11月 26th, 2024

中正記念堂へご案内いたします。有名な人を記念しているところですが、中正とは誰のことでしょうか。皆さんご存じですか。

蒋介石です。台湾では、蒋介石ではなく本名の蒋中正と呼びます。

蒋介石は日本人の恩人とも言えます。日本は第二次世界大戦に負けて巨額の賠償金を戦勝国に払わなければいけませんでした。しかし、蒋介石は日本の窮状を見るに見かねて、日本も中国も同じアジアであり、賠償金を放棄すると言いました。それだけではなく、中国に残存した日本兵を無事に日本に帰すよう命じました。

なぜ蒋介石は日本に寛大な対応をしたのでしょうか。

蒋介石は自身の日記に「私は日本の民族性を愛している。日本は私の第二の故郷である」と書いています。

蒋介石は若い頃、日本に留学しました。東京新宿区にあった軍人養成学校の東京振武学校を卒業し、その後、新潟県高田で日本陸軍野砲兵連隊の士官候補生として約3年間勤務しています。

蒋介石は中国に帰国後、国民党に入党しました。当時、孫文は中国各地の軍閥に悩まされ、中国を統一するために戦ってくれる人を探していました。日本で軍事訓練を受けた蒋介石は祖国統一のために戦うと心に決めて孫文についていくことにしました。統一戦争の最中の1925年に国父である孫文が亡くなりましたが、1928年に蔣介石は勝利を収め中華民国総統になりました。

もし、蒋介石が日本に留学していなかったら、孫文から後継者として指名されることはなかったかもしれません。

蒋介石(蒋中正)

(②に続く)

執筆:徐啓祥(台湾人ガイド)