金. 9月 20th, 2024

台湾の英雄、鄭成功をまつった廟の入り口には、石でできた鳥居のような変わった形をしたものがあります。

これは、もともと日本統治時代に開山神社の鳥居として造られたものです。

戦後、蒋介石が日本的なものをすべて取り除くため、このような形に変えて、鳥居上部に中華民国のシンボルである「青天白日」を載せました。

日本統治時代に造られた鳥居

鄭成功のお父さんは、福建省の泉州というところの出身で、名を鄭芝龍と言います。

鄭芝龍は、平戸老一官と称して長崎県の平戸を拠点に、貿易などの仕事をしていました。

そこで出会った日本人女性、田川マツと結婚して、1624年に鄭成功が生まれました。

日本名は福松といい7歳まで平戸で育ちました。その後はお父さんの故郷の中国福建省へ戻り、政治家として成長していきました。

21歳の時には明王・隆武から明の皇帝の姓である「朱」を名乗ることを許され、朱成功の名を賜りました。明の国姓である朱の名前を与えられたことから、人々は鄭成功のことを国姓爺(こくせんや)と呼んだといわれています。

鄭成功は、明王朝を再興する足がかりとして、台湾を 拠点化することとし、当時、台湾を占拠していたオランダと戦いに勝利して台湾を奪いかえしました。

その後、台湾に政府を設置して法律を定め開拓を行い、民を養って時運の挽回を図 ります。

しかし、鄭成功は1662年に熱病のため39歳という若さで亡くなってしまいます。

台湾で英雄として祀られている鄭成功は、日本人のお母さんの下、日本で生まれた、日本ととても縁が深い人なのです。

お母さんの田川マツは、翁太妃と呼ばれ、位牌がこの延平郡王祠に祀られています。

鄭成功とお母さんの像の写真や、子供時代などの資料があります。

日本統治時代の開山神社だったときに使用していた神輿も展示してあり、親しみを感じると思います。

日本語の説明もあるので、ぜひご覧ください。

所在地:台湾台南市中西区開山路

執筆:徐啓祥(台湾人ガイド)